出色のガンアクションとバディムービーの佳作「ヒドゥン」

※かなりネタバレしてるので読みたくない人は読まないでくださいね!

1987年に公開された映画「ヒドゥン」。

当時の木曜洋画劇場でも何度も放送されていましたね。

 

平凡で良識のある人が突然人を殺しまわり、大金を奪うという怪事件が起こります。それを追うロス市警の刑事は納得のいかないまま犯人を捕まえますが、またしても同じような事件が起こります。刑事からすると全く原因がわからないまま(視聴者は序盤でわかりますが)。さらに、FBIから派遣されたという捜査官とコンビを組まされ、不本意な状況で犯人逮捕のため、奔走することになります。

しかし、事件を追ううちに次第に常識を超えた真相にたどり着いていく…。

 

というのが主なストーリー展開ですね。まあ、結論から言ってしまえば、異星人が人間に入り込み凶行を繰り返し、その人間の体が使い物にならなくなったら、次の人間に寄生する…。ということを繰り返していたわけです。これじゃ一介の刑事じゃ真相がわかるわけないですね。その真相に近づくことができたのは、相棒のFBI捜査官のおかげ。彼もまた異星人が人間に乗り移った姿で、先の異星人を追って地球にやってきたというのが事実だったというストーリー。

 

この映画の良い点は、本来ならSFホラーアクションという超B級映画テイスト(まあB級映画ですが…)を刑事アクションものとして押し切ってしまった勢いに面白さあると思います。まあ実際、低予算だったんだと思いますが。

また異星人の特徴もユーモラスというかなんというか。HR/HMみたいな音楽が大好きで、車もフェラーリ好きというなんなんだそれは(笑)みたいな設定になっています。ただ、そのために邪魔する奴は容赦なく殺すというとんでもないやつですが。そういったことも映画のテンポの良さで、なんとなくそういう設定かー、ぐらいで見させてくれます。

 

FBI捜査官役ロイド・ギャラガー役のカイル・マクラクラン。彼が映画の中の役割として、非常に合っていますね。「ツイン・ピークス」にもクーパー捜査官として出演していますが、どことなく浮世離れした雰囲気、表情の乏しい演技、口数の少なさ。こいつひょっとしたら…(こちらはポルシェ好き、というところがなんとなく笑えます。異星人は高級車好きなのかな?)。と、思わせてくれるんですね。聞くところによると、デヴィッド・リンチ監督も「ヒドゥン」を見て、「ツイン・ピークス」で同じような演技を要求したそうな。

 

かたやロサンゼルス市警のマイケル・ヌーリー演じるベック刑事。こちらは長年殺人課に勤務していて、筋金入りのベテラン刑事です。まさか事件が異星人の仕業とも知らず、長年犯人を追っていたギャラガー捜査官にいろいろ聞き出そうとします。が、ギャラガーは人間の常識をある程度知っている様子で、全てを話そうとはしません。そのへんでお互いぶつかり合うのですが、ギャラガー捜査官、異星人でありながら良識を持っていて、ベック刑事も少しずつ心を開いていきます。このくだり、そんなに言葉を多く交わすわけではないのですが、お互いが心を開いていくのをうまく映像で描いています。

 

この二人が犯人を追い詰めていくのですが、クライマックスといえるのが、マネキン工場での銃撃戦。「レべリオン」や「ジョン・ウィック」のような無双タイプの銃撃戦ではないところが個人的には気に入ってます。自分はハンドガンが好きなので、人によってはそんなに大したシーンではないかもしれませんね。

ベック刑事はベレッタ92SB。ギャラガーはS&W659(このハンドガンはスライド式ではないのですが、異星人設定の彼にこの銃を使わせるというのはなかなか面白いアイデアです)というハンドガンで異星人のステア―AUGというアサルトライフルに対抗するのですが、このシーンの銃撃戦がとても良く出来ていて、何度も見てしまいますね。カット割りがよいのでしょうか。互いに撃ちあう様がとてもテンポよいのです。また、ハンドガンといえど、反動はありますからベック刑事が基本両手持ち。ギャラガーの方は人間の体をうまく使えるのか方手持ち。そのへんもうまく見せながらで銃撃戦を展開します。

対する悪い方の異星人は人間の体なんてどうでもいいと思っているらしく、どんなに撃たれても撃ち返してきます。そして、マネキン工場の屋上で異星人を追い詰めます。異星人を追う前に、肩に銃弾を食らっていたベック刑事を先に助け(この描写が良いやつなんだな、と思わせてくれます)、片手で空のマガジンを落とし、マガジンを交換してからさらに敵に銃弾を浴びせ追い詰めます。この一連の描写がとてもさまになっていて、個人的に非常に気に入っているところです。

異星人は体が使い物にならなくなり、追い詰められます。すると、ギャラガーは謎の兵器をおもむろに取り出し、敵に向けます。ここで、見ていた側は「やっぱり…あんたも異星人なんだね」とうすうす感じていた疑問が解消されてニヤッとさせられます。

 

そのあともいろいろあるのですが…あまり長くても退屈なものになりそうなので端折りますが、最終的には次期大統領候補に悪い方の宇宙人が乗り移ってしまいます。その際にも銃撃戦があるのですが、ベック刑事が撃たれてしまいます。ギャラガーは敵を追いかけるよりベック刑事を優先します。この描写そんなに長くないのですが、バディとして絆が深まったのを感じて感慨があります。

 

最終的には悪い方の異星人は倒され、ベック刑事は亡くなってしまいますが、ギャラガーに寄生していた異星人がベックに乗り移り、一応めでたしめでたしになります。

 

本当はまだまだ小ネタがあって、ベックの娘はうすうすギャラガーが人間ではないことに気づいていたとか、ベックがギャラガーの正体をついに知りつつもお互いを信頼しあい、共闘する意思を強めるシーンとか(このくだり、まったくセリフがないのも上手い見せ方です)、敵異星人との最終決戦のシーンとか、枚挙にいとまがないのですが、とにかく映画としてのテンポが良く、またヒューマンなところもあって個人的にお気に入りの映画です。

 

最後に。

 

悪い異星人を良い異星人が地球まで追いかけてくるって、なんか似たような話ありません?

そう、ウルトラマンです。

そのようにわかりやすく勧善懲悪なのもこの映画の魅力かも知れませんね。

 

誤字脱字、乱文乱筆、ご容赦のほどを。

 

 

 

遊星からの物体Xはホラーじゃないぞ!(ホラー要素満載だけど)

※かなりネタバレしてるので読みたくない人は読まないでくださいね!

 

1982年公開の「遊星からの物体X」。以降の様々な作品にいろんな影響を与えた映画として知られてますね。

 

グロ描写満載のSFホラーの金字塔!とか、疑心暗鬼感強い不安要素の恐怖映画、とか言われていますね。フランスでは名画100選に選ばれているとかなんとか(あの「シェルブールの雨傘」と同じくくりかよ!と思ってしまいますが。定かな情報ではないのでご勘弁を)。

 

でも僕は違う思いをこの映画に抱いています。

 

監督したジョン・カーペンター。この人は確かに純粋なホラー映画も多いけど、メッセージ性があったり、主人公がアウトローだったりする映画もあって、反骨精神の強い作家性があります。ハワード・ホークスという監督を敬愛していて、この監督は西部劇を多く作ったそうです。

 

そのことも踏まえて、なぜ僕が「遊星からの物体X」がホラーではないと思っているか、ちょっと書いてみようと思います。

 

舞台は1982年の南極。アメリカの南極観測隊第四基に一匹の犬が迷い込みます冒頭はノルウェーの南極隊員がその犬をヘリで追うシーンから始まります。ノルウェーの隊員たちはひどく追い詰められ、錯乱した様子で犬を銃を撃ちまくります。その一発がアメリカの隊員に当たり、危険だと判断した隊長がノルウェー隊員を射殺します。銃を撃っているあいだ、ノルウェー隊員はまくし立てていますが、アメリカ隊員たちには全くわかりません(ちなみに日本語訳も出ません)。

犬はアメリカ南極基地で保護されます。しかし、その犬は宇宙から来た生物が、その体を乗っ取った姿であり、やがて想像を絶する姿を現します。

なんとかその犬は退治したものの、その「生き物」は生物に接触し精神も身体も乗っ取ってしまうのです。その犬は保護された時から基地内を自由に歩き回っていました。つまり、人間も乗っ取られている可能性があるのです。

一人、また一人と乗っ取られていく隊員たち。なんとかそれを阻止するにも仲間が「生き物」に乗っ取られているかもしれない…そんな恐怖に苛まれながらも対峙しようとする隊員たち。

主なストーリーはこんな感じでしょうか。確かに閉鎖空間でのホラー感満載ですね。でもなぜ僕はそう思わないのか、主に四点、理由を書いていきたいと思います。

 

第一に、主人公であるマクレディ隊員。彼はヘリを操縦する隊員として登場しますが、彼は他のみんなが娯楽室で卓球をやったり、カードゲームに興じたりしているなか、一人自室でコンピューター相手にチェスをしています。彼はアウトロー気質なのです。裏設定ではベトナム帰還兵らしく、戦場でのトラウマが少しあるようです。そのせいもあって人と距離を置いているのかもしれません。映画でもわりと彼一人のシーンも少なくありません。修羅場にも冷静に対応している様子が映画の中でも描かれます。極限状況でも「生き物」の特徴を見抜いたりもします。つまり、こいつならなんとかしてくれそうだな、と思ってしまうのです。その彼が、絶望的状況下で仕方なくリーダーシップを取っていくことになるのですが。

 

第二に、「生き物」の撮り方です。クリーチャーというと、怖いものであればあるほどチラッと見せたり、ぼやかしたり、目で追いつけないような速さで見せたりと、そういうのが定番の描き方だと思うのですが、この「遊星からの物体X」ではそんなことはほとんどありません(ちょっとあるけど)。

どう?このクリーチャーすごくよくできてるでしょ、と言わんばかりにじっくりと見せてくれます。当時はCGもあまりない手作りの技術でしたので、よくこんなの考え付いたなー。と恐怖よりも感心したものです。これは、続編の「遊星からの物体X ファーストコンタクト」と比べてみれば一目瞭然です。あちらはホラーの定石に乗っ取った描かれ方をしています。つまり、「遊星からの物体X」はあまり怖がらせようとはしていないように思えるのです。

第三に、アメリカ南極隊員たちの描かれ方と、「生き物」に対する反応です。「生き物」が正体を現しても、皆が皆、ギャアギャアわめくとか叫ぶとかあんまりしないのです。パニックになっている隊員もいますが、必ず誰かが(マクレディであることがほとんどですが)、状況に対処しようとしているのです。それに、たいていの場面、隊員たちはわりと冷静に話し合っていたり、静かに「生き物」や死体を無言のまま見下ろしている描写が多いような気がします。そう、この映画は意外にも、静かな淡々とした描写が多いのです。

 

第四にラストとラストまでの描写です。無線も通じない。仲間もほとんど減ってしまった。極め付きに発電機まで破壊?(「生き物」に飲み込まれた?)されてしまい、自分たちも越冬できないという絶望的な状況に追い込まれます。「生き物」は寒くても眠るだけです。人間は寒さで全滅です。その状況下にあっても、「眠らせないよう周囲を温めてやるんだ。どうせ死ぬなら道連れにしてやる」とマクレディは言い放ち、南極基地をすべて爆破していきます。

 

「どうせ死ぬなら道連れにしてやる」この気迫はどこからくるのでしょか?死を覚悟したからでしょうか?僕はこのセリフだけで心強さを感じました。

 

最後に「生き物」にとどめを刺すときも「くたばれ!バケモンが!」(だったと思う…)と吐き捨て、ダイナマイトを投げつけます。これもかなり攻撃的な発言ですね。恐怖心から発した言葉ではないと思います。ある意味勝利宣言です。

 

ラストはマクレディともう一人生き残った隊員が静かに死んでいくんだろうなという場面で終わります(実はゲームで続編があって、その中ではマクレディは生き残って帰還します。ある意味ヒーローなんでしょうか)。

 

とここまで書いてきて、なんとなく僕の言いたいことが分かってもらえたでしょうか?つまり、ホラーの皮を被ったサバイバルドラマのように思うのです。人間も必死。「生き物」も生き残るため必死。とてもパワフルな対決ものに思えてしまうのです。

 

だからなのか、この映画を見るたび、元気をもらいます(笑)。

 

ターミネーター」第一作もそうですが、人知れず人類の危機と戦う、という設定がとても魅力的です。もっとも「遊星からの物体X」の登場人物たちはそんなことこれっぽっちも思っていないでしょうが。そこらへんもハードなボイルドを感じますね。

 

ここまで読んで頂いた方、勝手な持論に付き合っていただきありがとうございます。

 

誤字脱字、乱文乱筆、ご容赦のほどを。